池田氏関係の図録
三島郡島本町大沢の旧集落写真摂津大沢村
The Ohzawa village.

大阪府三島郡島本町大沢は、室町時代末期には、摂津国島上郡大沢村でした。大沢は、狭い谷間に集落が構成され、水無瀬川の最上流部にあります。1605年(慶長10)の摂津国絵図には村高86石余と記されています。また、産業は、山林を利用した柴・薪・炭などの生産が盛んだったようです。1900年(明治33)頃に大沢村の奥の谷間の製氷池が埋められる以前、池でできた氷を夏まで貯蔵もきる程寒い所でした。
 さて、そんな大沢村は、摂津と京都を結ぶ道を交差させており、交通の要衝でもありました。有名な大山崎を経由する西国街道の裏を通って摂津・山城(長岡京(西岡)方面へ通じる)を行き来する事ができました。現在は、大阪(京都)府道79号線がその名残りです。
 1550年(天文19)閏月5月14日と推定されている史料に、摂津国人池田筑後守某(名前不詳)・丹波国人波多野孫四郎元秀が、摂津国大沢村へ進駐(出陣)し、京都への口を塞いだとあります。大沢は、山城国大山崎の天王山(山崎)城の後背にもあたり、軍事的にも重要な場所でした。
 こういった状況は、戦国時代には度々あったようで、1569年(永禄12)1月、将軍義昭の本圀寺救援にも池田筑後守勝正・伊丹兵庫助忠親(両名とも摂津守護)などが、大沢方面を経由して京都へ入っているようです。
 大沢は、由緒の古い早尾神社や推定樹齢800年といわれる「大沢の杉」などがあり、また、集落は今も趣きのある風情を残していて、とても興味深い所です。ご興味と機会があれば訪れてみて下さい。
※写真は2003年に撮影した大沢の集落です。
島本町公式ホームページ

参考: 島本町史(本文篇・史料篇)、大阪府の地名1、
能勢町史3(資料編)、大阪狭山市史2(史料編・古代:中世)、
長岡京市史(資料編2)、伊丹史料叢書4(荒木村重史料)、
戦国期歴代細川氏の研究、言継卿記4など

サイトトップへ
2006年1月31日:記

[ ←戻る 進む→ ]

著作権について
このホームページと写真に関する著作権は柏床宜宏に帰属します。ページ中で使用の写真(一部を除く)、地図は著作権フリー(使用時には撮影者名を明記して下さい)でお使い頂いて構いません。但し、注意書きのある写真や肖像画などは、当方で収蔵元から許可を得て使用していますので、無断複製はできません。もし、ネット上で無断使用を発見した場合、所蔵元へ通報し、こちらからは使用者へ警告を発します。


企画・運営