見出し:池田城関係の図録
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写真:池田本養寺本養寺
The Honyo-temple

旧池田市街の地図と眺めていると、この本養寺の位置は何か池田城の施設として関連してたようで、池田民部丞屋敷があったとの記録があります。また、荒木村重が池田城から伊丹(有岡)城へ本拠機能を移転する時も、大広寺と共に移転しています。池田城と池田氏(荒木氏)にとっては重要な存在だった事がわかります。
 それから、古文書などでは、この本養寺とその南の西光寺の間に土塁の跡があったとあって、1873年(明治6)の池田村地図でもその跡らしきものが見えるようです。これらも私の推測の材料です。勝手な推測ですが。
 さて、他にも本養寺は池田の歴史に深く結びついたお寺で、大変興味深いものばかりです。このお寺は1409年(応永16)日秀上人が開山したという、古い歴史を持つお寺です。戦乱の世には、池田は要地であったため、何らかの被害はあったと思いますが、先にも触れましたように、荒木村重が摂津の支配者になると伊丹の有岡城に本拠を移し、本養寺と大広寺も同時に移転させられたようです。荒木氏が没落するとその二寺は間もなく池田に戻ります。
 本養寺が池田に戻った頃、1582年(天正10)近衛家より現境内と寺内町の宅地などの寄進を受け、さらに後、壇頭の山川氏(酒造家西大和屋)によって1695年(元禄8)本堂及び諸堂が改築されました。実はこの山川氏、池田家の元家臣でした。
 このお寺にはその山川家から出た学者、正宣の墓や西大和屋歴代の墓、文化人呉春に関する縁の地、大阪の谷町から移した桃山時代の気風を遺す薬医門などがあります。

 2009年で開山から数えてなんと600年という、古いお寺です。

マップはA-ア


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