川西市久代村
The Kushiro area.
大阪府と兵庫県境を流れる猪名川西岸にある久代地区は、現在兵庫県川西市久代となっています。久代村は、大阪府池田市神田地区からちょうど対岸になり、歴史上の中世から近世にかけて、互いにかかわりの深い地域です。多くの記録がそれを物語っています。
戦国時代、摂津池田家にとってこの久代地域は重要な地域で、池田家は文明年間頃(1469〜1487)から久代荘の代官職を得て、この地に影響力を持っていました。その後、年代が降るにつれて池田氏が持つ他の代官職地域と同じように、この久代荘も池田家の自領化の道を辿ったようです。
そして天文年間頃(1532〜1555)からは、池田氏が久代での代官をつけています。専門的にはまだ不勉強ですが、これが池田氏の自領化と考えられる記録と思われます。また、記録には「田舟」という姓がよく出てきます。また、地名を取ったとも思われる「久代」という姓も出ていますが、田舟氏と同一かもしれません。そして更に、池田氏の一族と思しき様々な名が見られる非常に興味深い文書が多数あります。
こういった文書からの個人的な推定ですが、他の畿内国人の研究からすると、池田氏の場合もこういった在地の有力者(豪族・土豪・名主など)との被官関係を通じて、軍役などの義務も伴っていたかもしれません。いざとなれば、池田衆としてこういった地域からも参加していたのでしょう。池田方の久代衆といった感じで。また、時代により姻戚関係を結んだりして、戦国大名にも似た関係を築いていたのではないかと思います。
近畿の中世資料の中には、摂津池田を中心にこういった池田氏関連のものが多く見られます。これが池田家の経済的・軍事的強さの背景だったと思われます。現在、こういった興味深い国人摂津池田家についての断片的研究は多くありますが、残念ながらまだ総合的・体系的研究はされていません。
写真は、久代村旧集落(中々味わいのある町並です)にある久成寺ですが、このお寺も池田家の関係を持ちながら詳しくはわかりません。少しづつ調べたいと思います。
参考:川西市史1、大阪府史4、室町幕府解体過程の研究など
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