北摂勢力図
Hokusetsu area force balance arond 1450 AD
図は応仁の乱の頃の摂津の様子で、15世紀中頃です。
今とは地形が違う事に注意です大阪湾の形が違うのをはじめ、大阪平野の中程(平野全体では北よりの所)には、大きな湖(湿地)のようなものがあります。歴史を知る時には当時の地形や社会情勢、通念等も重要な要素になってきます。
さて、この頃の摂津池田氏の当主は充正(みつまさ)でした。当時の池田氏は摂津守護細川勝元の被官で、勝元が戦いに際し、摂津国人衆にも上洛を求めたので、充正は騎馬十二騎と野武士千人余りを率いて堂々の上洛を果たします。(この兵力は、江戸時代の基準で見れば、四万石余りになります)また、充正は池田城を築いた最初の人だと言われています。
この頃、摂津のほとんどの国人は池田氏と同じく細川氏の被官でした。簡単に主立った家をご紹介します。
●真上(まがみ)氏 - 鎌倉幕府の御家人で摂津では由緒ある家柄。●芥川(あくたがわ)氏 - 真上氏と同じく鎌倉幕府の御家人で由緒のある家柄。1508年(永正5)に起こる乱で細川高国によって滅ぼされる。●溝杭(みぞくい)氏 - 芥川氏の一族。●茨木(いばらぎ)氏 - 茨木長隆は細川晴元の代官として活躍。後に和田惟政の家臣としても活躍。しかし1571年(元亀2)池田衆との合戦で敗れ滅亡。●能勢(のせ)氏 - 能勢町地黄を拠点にしていたが、芥川氏滅亡後代わって遺領を継ぐ。子孫は旗本となる。●塩川(しおかわ)氏 - 山下城、一庫城を築き猪名川上流の地域を支配した。荒木村重の乱には、塩川国満が池田城を守備する。●伊丹(いたみ)氏 - 鎌倉時代末期の御家人で古くからの名家。伊丹城は堅牢で知られていたが、荒木村重により所領を奪われ没落する。
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