木瓜紋
Ikeda's familymark, Mokko
1391年(明徳2)に山名氏清の乱が起り、時の城主池田佐正は室町幕府の命で出陣し、これを鎮圧します。その功で時の幕府より、「三ッ木瓜紋」と「采地」を得ると記録にあります。「木瓜紋」は、公家徳大寺家が始め車や衣服の文様に使っていたものを家紋にしたものです。個人的には、池田氏の系図中で、紀氏も関係していることから「三ッ木瓜紋」を賜ったのではないかと考えています。「木瓜紋」は数ある家紋の中でも「桐」や「橘」等と同じく古く、由緒のある部類とされています。同じ家紋を使うところでは朝倉氏も同じ三ッ木瓜紋を使用しています。また、織田氏も朝倉氏と姻戚関係にあった頃、「木瓜紋」を朝倉家より使用を許されたといわれています。余談ですが、織田信長はその六代後にあたり、なんの因果か朝倉家を滅ぼすことになります。
家紋は、ひとつの家で複数持つ事が多かったので摂津池田家の場合も同様のようでした。佐正のように武功を立てたり、縁組みをすることで拝領するといったことが多かったからです。池田氏の場合、八坂社や牛頭天王、キリスト信仰により「十字架」を使用したり、尾張池田家の関係で「蝶紋」を用いたりと様々だったようです。
|