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ページタイトル:池田の観光(池田再発見)

池田にはたくさんの見所がありますが、このコーナーでは、「知らなかったな〜」とか「へ〜」といった場所をご紹介しようといろいろ探してみました。「実は凄い」ものや「そんな事もできるんだね」といったちょっとした小ネタを持ったスポットです。また、非日常的で、肩の力を抜きたい時や気分転換をしたい時にはお役に立てる(?)場所などもご紹介してありますので、是非試してみて下さい。これからもコダワリを持ちながらスポットの紹介をしていきたいと思いますので、ご意見ご希望などもお寄せ下さい。宜しくお願いします。では、どうぞ!




写真:池田市吉田町陽松庵陽松庵 
Yoshyo temple

陽松庵は、1351年(観応2)無双国師の開基と伝えられています。開基以来禅道場として活動が活発でした。その後、1721年(享保6)池田の木部(きのべ)の牡丹屋小兵衛が、天桂禅師に帰依して自分の永借地権を有する同地に字北条地区から新築移転します。これが中興の開山となります。天桂禅師は有名な「正法現蔵弁註」の出版をこの地でしますが、木部の有力檀家の経済的支援なしにはできなかった事業でもありました。当時、天桂禅師は有名で、公卿・大名・富豪等の上流階級と交流がありました。その縁で1776年(安永5)、淡路の領主である稲田九郎兵衛などから先祖菩提のために寄進を受けることが多かったようです。そんな陽松庵は、現在も鬱蒼と茂る木々の中に、静かな佇まいを残しています。
 また、毎週土曜日の9時30分から参禅会が行なわれています。一般参加もできるそうです。(始めて参加される方は事前にお問い合わせ下さい。)テンポの早い現代社会では、自や他を見失いがちです。そんな時は、精神修養や意識転換に座禅をしてみてはいかがでしょうか?何かを得られるかも知れません。


池田市吉田町179(MAP A-1)
TEL:072-751-2229

料金:無料
休館日:なし
開館時間:特にないようですので、常識の範囲でお願いします
※施設内への立ち入りは了解を得て下さい。

電車・バス:阪急宝塚線池田駅、または、JR宝塚線「川西池田駅」下車、阪急バス「久安寺」下車。タクシーで15分。
マイカー:阪神高速池田線、木部第一号出口下りる。国道423号線で北へ15分。吉田橋交差点を西へ「吉田グリーンプラザ」の近くです。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。




写真:池田細河地区の植木細河(池田)の植木 
Hosokawa's garden plants

細河の植木は、15世紀末〜16世紀初頭には、当時大変貴重な牡丹が大規模に栽培されていたようです。有名な連歌師の「牡丹花肖柏」の「牡丹」はこの地のボタンに因んでつけられた可能性もあるそうです。後、ボタンは江戸時代、各藩大小名の愛用するところとなって、この細河では一年間に1000本内外の注文が来るようになっていました。また、江戸時代中期には細河の植木は大変有名となり、その販路は大坂・京都等の他、特に西日本には多く流通させるまでに販路を広げます。
 1804年(文化2)の記録では、コウゾ苗23万本が日向国高鍋領(現宮崎県)に送られたと有ります。他に播州赤穂・陰州出雲・芸州安芸・備州足立郡・肥州久留米や能登、尾張にも池田植木は送られていました。その後も順調に成長を続け、販路は更に拡大します。1910年(明治43)頃から海外へ輸出もされるようになり、昭和に入ると輸出先が更に広がって中国などアジア一円・アメリカ・イギリス・フランス・スイス等と取り引きが行われていました。
 細河の植木は、戦中戦後と一時的に衰退しますが、戦後の順調な経済発展と共に植木の需要も伸びて、地場産業として復活を遂げます。現在細河地区の主な栽培樹種は、五葉松・さつき・つげ・貝塚いぶき・もみじ・さざんか・正月用盆栽等です。
 また、観光植物園「吉田グリーンプラザ」では一般向けの展示即売会が催されています。最近のガーデニングブームもあってか賑わいを見せています。植物についての相談も気軽に聞けるので好評です。


池田市吉田町166番地 吉田グリーンプラザ(MAP A-1)
TEL:072-753-1063

料金:無料
休館日:1・2月中と7月中旬〜8月末はお休みです
開館時間:10時

電車・バス:阪急宝塚線「池田駅」下車、阪急バス「吉田橋」下車。徒歩20分。
マイカー:阪神高速道路池田線、木部第一号出口下りる。国道423号線を北へ。吉田橋交差点を西へスグ。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。




写真:池田市吉田町オダノカイチオダノカイチ 
Oda's new region

池田北部の細河地区の吉田町には、細川神社の北東側の山にオダノカイチ(織田の垣内)その下あたりがオシロダニ(お城谷)と呼ばれる場所があります。このオシロダニと言われる場所には織田信長が治めていた時代に城があったと言われています。30年程前まで、その遺構とされる「信長の手水鉢」がありました。この鉢は地元の方の話しによると、大人2人が抱える程の大きな鉢だったそうです。これは現在、写真中央の道路が曲がったあたりに埋めてあるそうです。また、オダノカイチというのはこのあたり一帯を指すそうですが、文献では写真の左手がオダノカイチとされ、そこにも織田信長時代の城の遺構があったそうです。ご覧のマンション開発がされるまでは、石垣の遺構が残っていました。また、近くからは地面に埋められた古銭が1万8,317枚も出土し、その城の遺構と何らかの関係があるのかもしれません。埋めれれた時期の推定は、室町時代末期で時期的にも近いものです。
 また、このあたりは「織田」さんのお宅が多く、槍や鉄砲などを受け継いでいる方もあってその信憑性は高いような気がします。ここに城があるのは、1568年(永禄11)池田氏の居城、池田城に織田氏が攻撃をしかけ降伏させ、池田氏はその後織田の配下になります。当時摂津は阿波の国出身の三好氏の影響力が強く、油断ならない状況でしたので織田氏は、池田氏などを監視するために城を築いたのではないでしょうか。それにしても、オダノカイチは興味深い話しです。


池田市吉田町192番地 (MAP A-1)

料金:無料
休館日:なし
開館時間:なし

電車・バス:阪急宝塚線「池田駅」下車、阪急バス「吉田橋」下車。徒歩15分。
マイカー:阪神高速道路池田線、木部第一号出口下りる。国道423号線を北へ。吉田橋交差点を西へスグ。
※駐車場がありませんのでご注意下さい。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。




写真:五月山愛宕神社愛宕神社 
Atago Shrine

愛宕神社は祭神を火之迦具土大神(ひのかぐつちおおかみ)、武瓶槌大神(たけみかづちおおかみ)、経津主命(ふつぬしのみこと)を祀り五月山とのゆかりが深い神社です。また、同社は池田市の重要無形文化財である「がんがら火まつり」とも深いつながりがあります。
 記録によると愛宕神社の起こりは、1644年頃に五月山山頂で池田の有力者が火を灯したところ、池田に愛宕が飛来したと評判になり、それ以来信仰が始まり、徐々に神社として成立していきました。五月山はそれ以前にも山岳信仰が発達しており、現在の愛宕神社の位置に上仙寺というお寺がありました。1693年(元禄6)の古絵図には他にも常住院と地蔵堂ニ宇、護摩堂が描かれています。五月山は場所によってはかなり急峻で、滝もあります。科学の発達していない当時は、五月山といえど中々足を踏み入れることのできない場所だったようです。しかし、人々は日々仰ぎ見る美しい山に、古代から素朴な山岳信仰を続けていたようです。その素地が愛宕信仰にも結びついたとも考えられています。
 時を経て、上仙寺域は後退し、愛宕神社だけが五月山の歴史を伝えています。なお、建物は1890年(明治21)、1974年(昭和49)に改築されています。
 また、毎年8月24日の夜に行われる池田の風物詩「がんがらまつり」は、愛宕神社で御神火を貰いまつりが始まります。


池田市綾羽2町目(MAP B-3)

料金:なし
休館日:なし
開館時間:なし


電車・バス:阪急宝塚線池田駅下車、阪急バス「大広寺前」下車。徒歩約20分。
マイカー:阪神高速道路池田線、木部第一号出口下車。池田市内より池田・箕面線で箕面方面へ。更に、五月山ドライブウェイで愛宕神社へ。
※愛宕神社には駐車場はありません。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。




写真:五月山石澄滝石澄滝 
Ishizumi fall

池田市と箕面市の境に当たる谷は比較的大きくて、石澄川が流れています。更に上流には池が点在しています。有名な箕面の滝のように大きくはありませんが、小ぶりながら趣きのある滝です。滝の高さは全長25メートルほどあり、滝の途中には「白滝大神」の社があって、そこはかつて修験者の行場になっていました。辺りは神秘的な空間が広がっています。
 また、石澄川流域は今も豊かな自然が残されていて、ゲンジ・ヘイケ・ヒメ蛍が生息し、沢蟹や野鳥が多く集まります。付近(水溜まりなど)には沢蟹などがいますので、できるだけ踏まないよう気をつけて下さい。私も危うく踏みそうになりました。また、大きな石もゴロゴロしていますのでケガにも注意して下さい。
 いつまでも森や動物達と共存できることを願わずにはいられませんが、ここも開発の手が伸びつつあるようで付近の方々は反対されています。石澄滝は、とてもよい場所なので皆さんにご紹介したいのですが、ゴミの事や荒らされてしまうのではないかという心配も持っています。入山の際には、マナーを守ってオトナのハイカーに徹して頂けますようお願い致します。神聖で貴重な場所ですのでくれぐれも宜しくお願い致します。


池田市畑三丁目(MAP C-2)


電車・バス:阪急宝塚線「池田駅」下車、阪急バス「東畑」下車。徒歩30分。
マイカー:阪神高速池田線、川西・小花出口下りる。国道176号線で池田方面へ。池田駅前を通過して宮ノ前東畑線を北へ。東畑交差点北側2キロ山側にあります。途中車を下りて徒歩になります。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。




写真:大広寺大広寺 
Daiko temple

大広寺は、1395年(応永2)初代池田城主池田筑後守充正(みつまさ)により創建されて後、天巌(てんがん)禅師を招いたのがその開基とされています。戦国時代には、池田氏の家臣から身を興した荒木摂津守村重が摂津地方一円を支配下に置いた時、その中心地を伊丹(現兵庫県伊丹市)にした事から、池田の多くの寺院は移動させられました。大広寺もその中にあって暫く池田を離れていました。伊丹のその跡地は現在も「大広寺町」として名が残っています。
 江戸時代、泰平の世が到来し池田郷の都市産業である酒造業の繁栄によって、大光寺は再び元の池田に再建されます。1694年(元禄7)に第16世の「雪峰」は、檀徒と協力して堂宇を再建・増築して更に、隷寺3寺院も招致します。同寺は以後も拡大を続け、その数は最終的に大小40余院あったと記録されています。
 大広寺は摂津池田氏の菩提寺として、池田氏ゆかりの貴重な遺物を多く残しています。十代池田城主知正と十一代で最後の池田城主三九郎の墓塔、十二代光重が三九郎の菩提を弔う為に奉納した梵鐘(池田市最古の梵鐘)。また、六代城主の遺徳を称えて、大広寺玄関の天井には切腹の時に敷かれていた板が張られています。(詳しくは「池田氏」をご参照下さい)
 その他、阪急電鉄の創始者である小林一三夫妻の墓や連歌師牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく)・漢学者田中 桐江(とうこう)の墓塔もあります。また、珍しいところでは、ハインリヒ・フォン・シーボルト(1908年没)の再婚者細原妙華(ほそはらみょうか)がシーボルト一族の冥福の為に建てた塔碑など、多くの歴史的な遺品があります。また、毎週土曜日の朝6時から参禅会も開かれていて、広く一般にも門戸が開かれています。お近くの方は参加されてみてはいかがでしょうか?何かを悟れるかも知れません。また、大広寺は牡丹でも有名で季節には多くの人で賑わいます。


池田市綾羽2-5-16 (MAP B-3)
TEL:072-751-3433

料金:無料 (牡丹祭 大人:400円)
休館日:なし
開館時間:特にないようですので、常識の範囲でお願いします
※建築施設内への立ち入りの際は了解を得て下さい。


電車・バス:阪急宝塚線「池田駅」下車、阪急バス「大広寺前」下車。
マイカー:阪神高速池田線、川西・小花出口下りる。池田市内の国道176号線を桜通りに乗り換えて五月山方面へ。五月山体育館から北へスグ。
※駐車場がありませんので御注意下さい。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。




写真:日初上人旧蹟日初上人栖址
The plce of the priest Nissyo remains.

池田城の旧大手と言われる道筋が今でも残っていますが、その道(池田職安北側)を東へ向かって進むと坂道になります。この坂はドンドン坂と呼ばれていました。かつて、その坂を登り切った所(北側)に蓮秀庵という禅寺があり、また立派な桜の木もあって桜の名所でもありました。春には茶店も出て、近くの麻田藩の藩主も度々花見に来ていたとの事です。
 そんな蓮秀庵に行乞(托鉢を行う)学侶の日初上人が住んでいました。上人は1742年(寛保2)に黄壁山の蘆江和尚から大法を伝授され、延享年間(1744〜47)頃からその蓮秀庵に住職として住みました。特に史学に造詣が深く著作もされています。「日本春秋」五十巻の他、「鎌倉春秋」十巻、皇居年表五巻、古事記註疏等多くの著書があります。日初は徳川時代の池田に於ける優れた学僧のひとりに上げられています。
 そんな優秀な功績を残すので、交友関係も深くて広い人物でした。池田で臨終を迎えた儒学者田中桐江(将軍綱吉にも講議をしていた)の縁もあって、度々弟の住む池田に足を運んでいた町人学者、富永仲基もこの日初の元へ足を運んでいます。弟の荒木蘭皐と共に兄も学才優秀で、有名な大坂懐徳堂(町人を中心として集う学問所)でも影響力の強い人物でした。富永は近代的学問の先駆けとなり、その功績は今も高く評価されている人物です。この富永仲基については、国を超えた研究が今もされています。
 先に上げた日初上人の著作は、仲基兄弟との交友時期と前後していますが、こうした卓越した思想を持つ人物が交流し、名著を世に送りだした地が、この池田にかつてあったのです。
 写真は、そんな日初上人の功績を後世に伝えるための碑で大正13年に池田史談会によって建てられました。ドンドン坂を登った辺りの左手(蓮秀庵のあった辺り)にあります。


池田市城山町1番(MAP B-3)

料金:無料
休館日:なし
開館時間:なし

電車・バス:阪急宝塚線「池田駅」下車、阪急バス「綾羽町」下車、東へ。徒歩5分。(駅から歩いても15分程)
マイカー:阪神高速道路池田線、池田出口下りる。池田駅前から桜通りへ。池田職安を目標に。
※生活道路になっていますし、途中車は入れません。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。




写真:池田市建石町星の宮星の宮
The shrine,Hoshinomiya

旧能勢街道沿いにあるこの史跡は、「星の御門」とも呼ばれています。前の道を東へ進むと「あわん堂」という、これも池田氏と関連しているらしい史跡があります。星の宮の由来は言い伝えによりますと、穴織姫・呉織姫が夜遅くまで明かりも灯さず一生懸命機織りをしていると、天から7つの星が降ってきて織殿を真昼のように照らして作業がはかどったということです。その機織りをしていた場所がここだということです。七つの星が北斗七星と考えると北辰信仰や妙見信仰とも関連するのではないかとの説もあります。
 また、建石町に残る古文書(星の宮 勧請札(写))によると、度々の兵火により消失したが寛正四年(1463)池田城主池田筑後守勝正父は、漢織本殿並びに末社等を五十八世神主秦定盛をして再建されたとあります。しかし続いて、「然しこの社は天正の兵火に消失す、されど村民の信仰の厚きにより社を再び造営されるところとなり、此の度修復なり、秦定興還座し奉るものである。」と書いてあります。年代はずれていたりしますが、やはりここでも池田城主が関連する記録があります。また、天正の兵火とは荒木村重の謀反の時のことだろうと思います。ここは、長い間ここより西にある伊居太神社の御旅所でもあったところでした。なお、建石町の由来は、この鳥居の横に有る大きな石の道標が立っているところから「立石」→「建石」となったのではないかとも言われていますが定かではありません。
 最後にここは毎年8月24日の夜、建石町の「がんがら火」出発(ここに戻って終わる)地点です。五月山には文字火を、星の宮からは子供松明の行列が出る静かなお祭りです。同じ日に行われる城山町の祭りとは対象的です。この星の宮は話題が豊富です。ということはそれだけ歴史が長いということだけはハッキリしていることです。後世の私達は、これからもこの伝統を大切にし受け継いでいきたいものです。
 また、最近この神社の南側にあった古い民家が壊されました。何か新しいものが建てられるようですが、伝統的な史跡が近いだけに周りの雰囲気を壊さない、調和のとれたものができるよう個人的には願うばかりです。


池田市建石1-9(MAP B-4)

料金:無料
休館日:なし
開館時間:なし

電車・バス:阪急宝塚線「池田駅」下車、阪急バス「辻ヶ池公園前」下車、西へ。徒歩5分。(駅から歩いても20分程)
マイカー:阪神高速道路池田線、池田出口下りる。池田駅前から桜通りへ。職安前で旧能勢街道を東へ。
※旧街道で道は狭く車でのお越しはオススメできません。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。




写真:池田市栄町商店街栄町商店街 
Sakae-Honmachi mall

池田は多くの街道を市内に交差させ、「交易都市」として古くから町が形成されていました。その起源は、平安から鎌倉時代に溯り、貿易都市として有名な「堺」よりも池田の町としての興りは古いそうです。その後、池田氏が城を築き城下町を形成、戦国の世が終わってからは再び交易都市として以前にも増して栄えていました。池田は元禄時代、江戸にも聞こえた名酒の産地で繁栄を極めました。他にも池田炭や植木などの諸産業に支えられて経済的にも北摂随一の都市に成長しました。また、それらの豊かな経済基盤を持つに至り多くの文人・画人を招いたり育てたりと、池田は小さいながら独自の文化圏を築いていたようでした。
 明治43年に阪急電車が乗り入れるようになり、その南側に建売住宅(日本初)ができると、今まで北に向いていた池田の商店筋はそれより南に進出します。更に時代は下って1935年(昭和10)には、産業道路(現国道176号線)も建設され、その後は、銀行・役場等の公共機関も次々とその道路沿いに進出していきます。結果、人の導線は駅前付近に集まることになり、商店も駅前に集中して商店街となっていきます。昔から池田に住む方に当時の様子を聞くと、近隣の町村からの客でいつも賑わっていて、特に年末の買い出しには、荷物を頭の上に乗せて歩かないと歩けないくらい街に人が集まったそうです。太平洋戦争後も暫くは北摂の中心的役割を担い、昭和30年代まで賑わいを見せていました。
 しかし、戦後の高度経済成長期に近隣の都市が発展を遂げて、池田の物資集散地としての意味合が薄れ、更に交通事情が良くなり、池田を通過して遠方へ物資を求められるようなったことが商店街衰退の要素であったようです。また、近年の大型店舗の相次ぐ出店も商店街には大きな打撃でした。
 しかし、栄町商店街は、依然ほどの活気はなくなったとはいえ人通りは多く、大型店舗に負けじとアイデアを出して頑張っています。また、商店街を抜けると、江戸時代まで池田の中心だった本町界隈に出ます。そこから北西に少し旧市街が続いています。昔の事が知りたければ商店街の人に聞けば教えてくれます。そんな伝統のあるお店が多いのです。また、造り酒屋も2軒操業を続けていて、旧市街を歩けば結構目を引くものがまだ多くあります。ゆっくりと会話や雰囲気を楽しんで下さい。


池田市栄町(阪急池田駅前)(MAP B-4)


電車・バス:阪急宝塚線「池田駅」下車スグ。
マイカー:阪神高速道路池田線、川西・小花出口下りる。国道176号線を池田方面へ。池田駅前にあります。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。




写真:猪名川河川公園猪名川堤防と伝承唐船ヶ淵
Ina riverside park & Tosen pool

応神天皇の治世下、当時日本に国を追われて亡命していた、中国の霊帝4代目である阿知使主(あちのおみ)とその子、都加使主(つかのおみ)が日本に様々な文化的貢献をします。二人は、当時の日本の文化の遅れを憂い、日本に貢献したいと天皇に願い出て、織物・衣服の技術向上のため呉の国に渡ります。ついに裁縫と機織の師を得て帰国します。その時、呉織(くれはとり)・漢織(あやはとり)など、技術者は写真に写っているこの辺りから上陸したとされています。上陸地点とされる場所にはその伝承を伝えるための碑が建てられています。
 その功績により「阿知使主」と「都加使主」は、猪名の津(川辺郡から池田・豊中にかけて)を領地として与えられて、この地で技術教育に当りました。彼らは多くの技術者を育成し日本で没しました。
 猪名川は兵庫県川西市北部からいくつもの川と合流しながら流れ、更に、池田市の少し北、久安寺川と合流する辺りから川幅が広くなります。江戸時代でも、船を通すには「唐船ヶ淵」の辺りまでが限界だったようですから、呉織・漢織が「唐船ヶ淵」から上陸したということは、その当時も江戸時代と同じような環境だったのでしょうか。その「唐船ヶ淵」周辺から、堤防が整備されていて散歩も楽しめるようになっています。この辺りは、カモやカモメ、サギなどの鳥が羽を休めているのどかな光景が広がります。


池田市新町(MAP B-4)


電車・バス:阪急宝塚線「池田駅」下車、徒歩15分。
マイカー:阪神高速道路池田線、川西・小花出口スグ。または、国道176号線を国道173号線へ。中橋附近です。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。




写真:室町住宅室町住宅
The Muromachi residential quarters

阪急池田駅南側に広がる住宅街です。ここは、1910年(明治43)電鉄会社によって日本初の建売住宅が発売されたところで、当時100坪を1区画として建坪20〜30坪の2階建てで、価格は2,500〜3,000円で200戸が販売されました。また、その支払い方法も50円の頭金に残りは10年で月々24円の月賦払いという、サラリーマン等にも大変買い求めやすいものでした。月賦というのは現在では当たり前のようになっていますが、当時としては大変便利で新しい買い方でした。
 これは、大阪では有名な阪急電鉄の創始者小林一三氏が、路線の沿線沿いに住宅地開発を考え大阪方面へ通勤する人達を自社の鉄道で運ぶ計画によるものでした。このアイデアは当り販売は大変好評でした。沿線沿いに25万坪が住宅地として開発され、池田では27,000坪が住宅地として拓かれました。
 今では羨ましい限りのゆったりとした地割の建売住宅街は、歩いてみると何やら気品のようなものを感じます。写真のように、古い旧様式の建物もまだ多く残っていて、結構町並に興味のある人達のコースになっていたりして、隠れた穴場です。また、池田で十日戎が催される呉服神社は同じ室町です。
 猪名川も室町のスグ西側を流れていますし、旅館、割烹などがあってお泊まりされても静かでいいのではないでしょうか?


池田市室町(MAP B-4)


電車・バス:阪急宝塚線「池田駅」下車、徒歩3分。
マイカー:阪神高速道路池田線、川西・小花出口スグ。または、国道176号線を阪急池田駅へ。
※駐車場はありませんので、ご注意下さい。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。




写真:池田市五社神社五社神社
Gosya shrine

五社神社の縁起は、724年(新亀元)行基の勧請によるといわれています。ここも他の池田市域の寺院と同じく、荒木村重の乱の兵火に懸かり、社殿は焼失します。その後、1589年(天正17)釈迦院の住職によって再建されます。五社神社は、同院の管理下となっていましたが1868年(明治元)、神仏分離によって別けられ、現在に至ります。1935年(昭和10)に釈迦院の宝篋印塔が重要美術品に指定され、同時に五社神社の「十三重塔」も重要美術品の指定を受けます。
 鉢塚古墳内にあるこの十三重の塔は、横穴式石郭の玄室にあります。また、この鉢塚古墳は石室の大きさが建造された同時代(飛鳥時代(6世紀後半))の蘇我馬子の墓といわれる「桃原墓」(奈良の石舞台古墳)以上に大きい事から、その関連について物議を呼んでいます。石室の大きさは大阪府下一番です。全国的にも五番目です。(横穴式石室の全長14.88メートル、玄室の長さ6.48メートル、高さ5.2メートル、幅3.2メートルと大きなものです。)十三重の塔自体は、その後に造られていて1293年(正応6)、池田景正(かげまさ)が神田の常福寺の修復と同じく建立したとされています。 「十三重塔」付近にある地蔵などは全て鎌倉時代の作です。また、塔は国指定の重要文化財です。

 五社神社の裏手に鉢塚古墳の石室へ続く小道を進むと柵があり、「十三重塔」はその柵越しに見る事ができます。同神社では、毎月7日に講があり塔も公開されているようです。しかし、「講の日」以外でも事前に申し込めば、有料(\200)にて見学ができます。石室内は、とても不思議で神秘的です。


池田市鉢塚2-4-28(MAP C-4)
TEL:072-761-7200

料金:無料(十三重塔見学は200円)
休館日:なし
開館時間:特にないようですので、常識の範囲でお願いします
※十三重塔見学の際は要予約です。

電車・バス:阪急石橋駅より阪急バス「鉢塚」下車徒歩西へ7分。
マイカー:阪神高速道路池田線、池田出口下りる。宮ノ前東畑線、国道176号線経由、西市場畑線へ入り北へスグ。
※駐車場はありませんのでご注意下さい。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。




写真:水月公園水月公園
Suigetsu park

水月公園には、1984年(昭和59)池田市と中国蘇州市の「友好都市締結三周年」を記念して中国から寄贈された亭(あずまや)があります。亭は水月公園のシンボル的存在となっています。公園の広い敷地には、水月児童公園や噴水、白梅園、菖蒲園などがあり、季節には人が絶えることがありません。また、公園の周辺には旧能勢街道もあって道に出てぶらっと歩いてみると、そここに歴史を感じる趣を残しています。
 さて池田市と蘇州市がなぜ好都市になっているかというと、五世紀頃池田に呉国(蘇州市)から機織りの工人を招いて技術指導を受けて以来、その後地域だけでなく国としてもその恩恵を受けたという伝承があります。その縁で池田市と蘇州市は、1981年(昭和56)に「友好都市」となって現在も活発に交流が続けられています。
 余談ですが、中国との縁と言えば、あのオリンピック卓球競技の金メダリストの小山チレさんも池田市民です。話しが脱線し過ぎでしょうか。脱線ついでに蘇州市の事を少しご紹介します。蘇州市は、2500年以上の歴史があり紀元前518年の春秋時代、呉の王様が今の蘇州市に都を開いたのが起源だそうです。その近くを流れる京杭大運河(北京-杭州)は、遣随使(日本の使節団)が使い、一行は蘇州から上陸して長安の都に向かったそうです。また、蘇州は庭の町としても中国では有名だそうで、市内に170余の庭園があって400年以上経つものも多く、中には1000年以上のものもあるそうです。
 そんな作庭にはウルサイ蘇州市からのプレゼントだけに、風景に菖蒲と亭がよくなじんでいて趣きがあります。広い公園内で散歩もよし、読書もよし、お弁当を広げて食べるもよしです。釣り堀なんかもあって、天気の良い日にはたくさんの人が釣り糸を垂らしています。水月公園は、幹線道路から離れているので結構静かで、いいところです。


池田市鉢塚6-3-1 水月公園事務所(MAP C-4)
TEL:072-762-7532

料金:無料
休館日:なし
開館時間:なし

電車・バス:阪急宝塚線「池田駅」下車、阪急バス「鉢塚」下車、西へスグ。徒歩5分。
マイカー:阪神高速道路池田線、池田出口下りる。宮ノ前東畑線「鉢塚」バス停西側スグ。
※駐車場がありませんのでご注意下さい。
※詳しくは、マピオンのサイトを参照下さい。所在地は上記を入力。


参考連絡先:

池田市観光協会HP
大阪府池田市栄町1-1 財団法人 いけだ市民文化振興財団内
TEL:072-750-3333 FAX:072-750-3330


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