池田氏関係の図録
河内岡山城跡河内岡山城跡
The ruins of the Okayama castle in Kawachi area.

河内岡山城は、同国飯盛山城の北東の支城として、1560年(永禄3)頃に築造されたと考えられています。
 現在の忍陵(しのぶがおか)神社(現大阪府四条畷市岡山)一帯が城跡と云われています。この岡山城は、忍ヶ岡という独立丘陵(御勝山とも呼ばれていた)を利用して建てられ、また、この地には古墳時代前期の前方後円墳もあり、この遺構も城として利用されています。
 岡山城は、「大坂夏の陣」などで陣地として利用されるなどしており、中世城郭の遺構は大きく破壊され、あまり詳しい事はわかっていないようです。
 しかし、その立地から軍事的には深野池に対する監視や大阪平野から交野方面へ繋がる平地への砦として、非常に重要な働きをしていたと見られます。
 他方、この河内国岡山という地域は、永禄から天正時代当時、キリシタンの拠点(同国三箇・八尾などとともに)ともなっており、教会(会堂)などが建てられていたようです。これは、岡山城主結城(高橋)氏が熱心なキリシタンでもあったためです。1577年(天正5)から1582年(天正10)頃が、岡山キリシタンの全盛であり、1582年の史料では3,500名の信徒が居たともされています。
 河内の国は、長い間、政治的に安定せず争乱が頻発する地域でもありました。時の治政者(室町幕府など)は、度々軍勢を派遣して鎮圧に努めていますが、摂津池田家もこれらに従軍していました。
 河内の要所である飯盛山城(1560年(永禄3)から三好長慶の居城だった)との関係から、摂津池田家もこの岡山城と何らかの繋がりがあった事は考えられます。特に熱心なキリシタン武将だった池田丹後守教正と岡山城とは深く関係していたようです。

 岡山城跡は今も中世の城跡の雰囲気を残していて、興味深い所です。また、古墳時代前期の前方後円墳石室が保存(大阪府教育委員会により)されている貴重な場所でもあります。

参考: 大阪府史、四条畷市史、八尾市史、フロイス日本史、
日本城郭大系12、日本城郭全集9など

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2004年10月28日:記

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