池田氏関係の図録
写真:忍者イメージ忍者
The Nina.

いわゆる忍者と呼ばれる特殊技能者が、池田城下にもいたのではないかと思わせるいくつかの記述があります。
 いつ頃の事かはハッキリとしていないのですが、池田城下に五名の家老が居たとされる記述(穴織宮拾要記末)では、甲ヶ谷町(現大阪府池田市城山町)に家老「甲賀伊賀」が屋敷を構えていたとしています。
 また、甲ヶ谷町に伝わっている話しでは、近江国甲賀地方から移ってきた人々が住んだ地域との事です。更に、甲ヶ谷町には大工職人が多く住む地域だった事は、江戸時代を通して続いていて、これは室町時代末・安土桃山時代からの流れだったのだろうとも考えられます。
 その他、摂津守護となった池田筑後守勝正・伊丹大和守忠親・和田伊賀守惟政の内、勝正と惟政(甲賀出身者)は親しくしていたとの伝承記述もあるようです。
 一国の守護格(その国の幕府方の責任者)ともなれば、政治的にも様々な責任や職務が増えます。また、政治と軍事が一体化していた時代ですので、軍事的な面でも常に用意をしておかなければならないのは、自然な事で、近隣周辺や対抗勢力へは気配りをしていた事でしょう。情報を出す場合にも、受ける場合にも、常に必要な人材を用意していたと考えるのは不自然な事ではありません。
 当然、この中には「忍者」といわれるような特殊な情報を扱う人材も居たことでしょう。
 戦国時代には忍びの多様性があり、忍者・忍び・忍びの者・くさ・芝見・目付・見分・忍目付・斥候・物見・かぎ物見・外聞・乱破・透破・忍物見・出抜・奸・大奸・小奸・姦・伊賀者・甲賀者・隠密・隠し目付・検見・違候・軒猿・黒脛巾・座頭衆など、地域性と質的な相違からその呼称は様々です。
 管見でもはっきりとした「忍者」についての史料やその定義などがないので、池田家中での事もわかりませんが、いわゆる忍者を抱えて、自家の独立と利益を守るための活動が何らかのかたちで行われていたのではないかと、これらのエピソードの中から想像したりしています。

参考:日本戦陣作法事典、戦国武家事典など
これまでに私が読んだ全ての資料より

ちょっとコラム
池田市新町にある骨董商「水谷静光堂」さんで、興味深い物が扱われています。それは摂津池田家の物でもなく、時代も違いますが、江戸時代に忍者そのものが用いていたと思われる「忍具一式」がネット上で展示・販売されています。興味のある方は是非、ご覧下さい。
※水谷静光堂さんはネット販売の老舗で、多くの実績がある信頼のお店です。私も池田に居た頃は何度か、お店を訪ねました。

水谷静光堂 お店のトップページです。
http://www.kobijyutu.com/
忍者具一式 商品のページです。
http://www.kobijyutu.com/V-747.htm
2005年8月22日:更新
2004年1月10日:記

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