池田氏関係の図録
知正・三九郎墓等知正・三九郎墓塔
The Tomomasa and Sankuro's grave in the Daikoji temple.

池田氏の菩提寺である大広寺には、最後の城主池田知正とその養子の三九郎の墓を残すのみです。写真の一番奥にある小さいのが三九郎の墓で、ひとつおいて手前の一番高いのが池田備後守知正の墓です。その他に写っている墓石の関係はよくわかっていませんが、池田一族の墓です。
 大広寺荒木村重が本拠地を池田から伊丹の有岡城へ移す際、一緒に大広寺も移動させたため、その時の混乱で資料が散逸してわからなくなってしまったようです。また、後年、尾張・美濃で興った池田家は当時摂津池田家と関係(血縁)を持っているとされていたので、1882年(明治15)に備前岡山藩池田家に充正の墓が引き取られています。同時に、附随の資料も引き取られたようです。

 言い伝えによると、第九代目の池田城主である池田備後守勝正の墓が兵庫県三田市の小柿と田中地区に「侍の墓」として伝わり現存しています。また、周辺にはその時に供をしてきたとの家伝を持つ方々も多く住んでおられます。しかし、ハッキリしたことはわかっていません。
 勝正は、細川藤孝の指揮下となったりしますが、後に、摂津三田(三田市)の有馬則頼に寄食して1578年(天正6)、彼の地で没します。更に、その子の直正も有馬氏に身を寄せ、同家の九州移転に同行しているようです。

マップはB-3


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