見出し:池田氏関係の図録
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画像:池田三九郎画像池田三九郎画像
Pictures of the Sankuro Ikeda.
(池田大広寺蔵)

加賀藩士池田氏系図をはじめ、様々な古文書に三九郎の事が記録されています。現在一番一般的になっているのは、三九郎が池田備後守知正の養子となり池田本家を継ぐも、僅か18才で没し、池田本家断絶の危機に急遽、東山(池田市東山)に隠居していた三九郎の父光重が、本家に入って継いだとされる説です。これは、池田市の大広寺に伝わる系図を元にしたものです。
 その他、関連資料を総合的に見て推定されている池田輝海氏の研究によると、実は光重が池田備後守知正の養子なっていたと考えておられ、何かの事情で光重自身はその後を直接継がず、彼の長男三九郎が、知正の後を継いだと考えられているようです。
 ですから、先の資料よりは一歩踏み込んで、光重は知正の養子として早くから池田本家を継ぐ用意をしていたのですが、知正の死去によって何らかの事情が生じて、息子の三九郎に継がせたと解釈されています。
 同氏は、これと関連するような問題点を指摘されています。三九郎は僅かな期間であっても家督を継いだとされているのに、元服名も官職名も見当たらないので、継いだ事が大変急だったのだろうかと。
 ちなみに三九郎が知正の養子として記述されているのは、系図中では「大広寺」「森家所蔵の池田家系図」だけのようです。

 肖像画は、大広寺に残るもので三九郎が長逝した時に、実父である光重がその死を嘆いて、生前の姿を記録にとどめさせたもののようです。思いの深さが伝わる絵です。また、三九郎にまつわる遺物は今も池田市内外に多く残されています。
 その池田三九郎が亡くなったのは、1605年(慶長10)7月28日で、その死は何によるものなのかはわかっていません。

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