見出し:池田氏関係の図録
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写真:吹田城跡吹田城跡
The ruins of The Suita castle

大阪府吹田市地域に「吹田城」があったであろう事は、多くの専門家も認定しているところですが、残念ながら発掘等をともなう物理的で科学的な検証がまだ十分ではなく、その特定がなされていません。吹田地域は安威川下流北岸に集落が開けており、長期に渡り京都・大坂の水運の要所でした。更に、東西南北への街道も通していました。
 このような場所には当然、物資や人が集まり、市が立ち、様々な生産活動が営まれ、自治都市が形成されていきます。そこには「城」もあった事でしょう。また、「吹田氏」という有力豪族が吹田地域に居た事は、当時の史料から明らかになっています。ここにあった城は、やはり、吹田氏との関係が深いと考えられています。
 城という記述の初見は、1461(寛正2)年12月26日の摂津国中嶋宗禅寺領目録に現れる「西庄城」で、それが吹田城を指すのだろうとする説が有力のようです。ちなみに、同史料には「石浦城」という別の記述もあるようです。
 そしてその吹田城はどこにあったのかが気になるところですが、現在の「西の庄町」にある朝日麦酒吹田工場付近にあった(西庄城跡説の場所)とか、「南高浜町」に神境環濠があったようなのでそこに城があったとか、「高城町」の吹田第三小学校付近にあったとか、色々と言い伝えがあるようです。また、千里丘陵南端に位置する「片山町」付近にも城のようなものがあったとされています。

 今のところ、それらの関連性は全くわからず、城の変遷過程によるものなのか、同時期に存在した役割・機能分担を持つ存在形態なのかはわかりません。摂津国人池田氏とも深く関わる地域ですので、今後の研究の発展を祈りつつ、それが明らかになる日を楽しみに待ちたいと思います。

参考: 大阪府史、吹田市史、吹田志稿、郷土吹田の歴史(著者不明)、
埋蔵文化財緊急発掘調査概報(吹田市教育委員会:1990年発行)、
豊中市史、摂津市史、茨木市史、日本城郭大系12、
日本城郭全集9、大阪府の地名1(平凡社)、関西地誌図集成、
織田信長文書の研究、織田信長家臣人名辞典、荒木村重研究序説など

2006年8月13日:記

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