見出し:池田氏関係の図録
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写真:豊島冠者故居豊島冠者故居
The old Ikeda's palace

中国自動車道の中国池田インターチェンジから直ぐ北側にあって、今はご覧のように何の変哲もない住宅街となっています。
 当時、この地に居住していたと思われる池田氏の祖「豊島冠者」は古文書による記録のみでその推定跡地については発掘が行われていませんのでハッキリした事はわかっていません。しかし、土地の様子や口伝によって残されています。大体は、旧村役所の西南にあったのではないかと推定されていますし、近くの旧家の方も同じ言い伝えを話されています。
 1939年(昭和14)に発行された池田町史では、「豊島冠者故居址」として、「豊島冠者は池田氏の祖にして、紀奉貞より出づと池田氏の系譜に見えて居る代々豊島冠者と称し、西市場村に館舎を構築居住せりと伝えて居る。...(後略)」とあって「摂陽群談」や「東鑑」「北豊島村誌」などの関係記録を載せています。
 更に同史は「豊島郡家址」の題で、この地域が早い時期から豊島郡の中心だった事を取上げています。豊島郡本郷として、玉坂・石橋・産所・宮の前・麻田東今在家・西今在家・中之島・東市場・西市場・井口堂の十一村が上げられています。しかし間もなく、その郡の中心が鴻池(現兵庫県伊丹市)に移ったとあります。

 それから、戦国時代頃、西市場城跡もこのあたりにあったと記録がありますが、上記の「豊島冠者故居址」との関係はわかりません。そのまま、後の戦国時代に移行されていくのでしょうが、こういった事の証明はされていません。池田氏が豊島冠者と繋がっているのかも今のところ不明です。
 しかし、一説にはこの豊島冠者が伸長し、北へ移り、今の池田城跡公園の地に定着して、池田氏となっていくともあります。

2001年5月10日:記

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