見出し:池田城関係の図録
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写真:横岡公園池田市横岡公園
The yokooka public garden

池田市の五月丘に横岡公園があります。何の変哲もない団地の中の公園ですが、1568年10月2日、織田信長が池田城を攻撃する時に陣を置いたと思われる場所です。「信長公記」の「信長御入洛十余日の内に、五畿内隣国仰せ付けられ、征夷将軍に備へらるゝの事」の項に「(前略)十月二日に池田の城、筑後居城へ御取りかけ、信長は北の山に御人数を備へられ、御覧候。(後略)」という記録があります。この御覧候られた場所がこの横岡公園あたりだと思われます。
 池田の古老にお聞きした話では、横岡公園のあるところは昔「チンヤマ」と言われていたそうで、「陣山」が訛ったと思われる呼称が、つい最近まで使われていました。また、同じようなケースは各地にあり、その理由は「昔、陣があったから」というものが殆どのようです。

 地形的に横岡の東側は、箕面市方面からだと、道は駱駝のコブのように登り降りをを2〜3回繰り返し、横岡公園の辺りから西に向けて一気に急な下り坂になります。そのため池田城があった位置へは良好な展望が開けます。
 また、別の地元の方の話では、戦前までは横岡公園あたりから五月山を沿う道は狭く、坂もきつかったために、利用する事はあまりなかったとの事です。道の両脇は昼も暗い鬱蒼とした森だったそうです。というか、今は範囲の縮まった五月山ですが当時は裾野が今よりずっと広かったのです。ですから五月山を指す範囲も今より広くなります。
 また、横岡公園の東側は秦氏に縁の古い集落があり、周辺と比べると家々や道も整備されていたようです。

 前述しました、信長公記にある「北の山」というフレーズを五月山から発展させて池田城の弱点は、五月山(池田城のすぐ北にある頂きを想定?)から俯瞰されると中が見えるという事が言われていますが、個人的には、戦(いくさ)ばかりしていた当時の武力集団が、そんなあたりまえの事を無視するのかという疑問を持っていたので、色々聞いたり調べたりしている内にこのような見解に達しました。
 それに、想定されている五月山の頂きまで入り込むと、入った側が大変不利です。
 ここには書き切れませんが、当時の集落単位や事情を考えても、私はやはりここがその信長の「陣」の場所としては有力だと考えています。

 なお、発掘調査などは行なわれていませんので、その事実関係はカタチとしては今の所存在しないようです。

マップはB-3


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