見出し:池田城関係の図録
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写真:池田城下の市場池田城下の市場
A market under the Ikeda castle.
(池田郷土史学会蔵)

池田城下に市場が存在したのは確かな事であると史料から見ればわかりますが、この点、古くから指摘されてはいながら、その発掘調査は行われていませんので、公的な証明はできていません。
 城と町との関係について、密接なものがあると言われているのですが、池田についてもその関係がよくわかっていません。ですので、全く個人的な推定でこの記事を書き進めます。
 天文年間以降の史料では、1541年(天文10)11月26日、1546年(天文15)9月10日、同16日、1549年(天文18)1月24日、同4月28日、1553年(天文22)8月18日、1568年(永禄11)9月30日、同10月2日、1570年(元亀元)9月9日の記録に池田城を攻めたり、落城させた時の様子が見られます。特に1546年9月10日の記述には「市庭などを放火」と言うものが見られ、これが池田城と市場の関係についての初見と思われます。そして、この時、敵が「西の口」より池田城へ攻め入ったとあります。
 「西の口」とは現在は西本町(現池田市西本町)となっていますが、池田城から西へ直線距離で500メートル程の猪名川東岸に隣接している地域(集落)ですので、「市場」と考えられるものが池田城下にあったと見られます。
 また、「市場」機能を持った地域は、現在の池田市域中では他にも旧字(現池田市豊島北)の西市場・東市場地域(西国街道沿い)にあったと考えられており、これとの区別がつきづらいところもあるのですが、先述の要素を持った記述からすると、やはり、池田城下にも市場を立地させていたと考えられます。この市場という記述は、時代が下る程、池田城という記述と並んで現れるようになります。
 また、現在の池田市域内外に複数の市場があり、これらと摂津池田氏は浅からず関係し、特に必要性が高まれば、地理的に近く接近。すなわち、池田城下へ商人を招致(御幼商人)したのかもしれません。現在のように本店・支店機能を持ち、情報・流通・商業網を巡らせていたのではないでしょうか?
 ちょっと話しは脱線しますが、池田市細河地域は牡丹の花など稀少産物を有する地域であり、また、そこからは、室町時代末期の古銭が多量に出土しています。こういった環境を考えると、非日常的ではありながら、特定の産物や産品を取り引きする市場も池田家関係地域(領内)に点在していたと考えられるのかもしれません。
 そういった小さな、また、特殊な商品を扱う市場が多数あり、池田城下を中心とした都市に事務・本拠機能を持たせた市場であったり、商家が集まって、商業活動を行っていたのかもしれません。

参考:池田市発掘調査報告書、(新)池田市史、日本城郭大系12、
大阪府史、大阪市史、(新)豊中市史、(新)茨木市史、高槻市史、
兵庫県史、川西市史、伊丹史料叢書2、尼崎市史、宝塚市史、
戦国合戦大事典、戦国歴代細川氏の研究、室町幕府解体過程の研究、
信長公記、言継卿記、三好長慶、戦国三好一族など

※写真の無断複製を禁じます
2005年1月5日:記


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